甲賀のある里の村主がどこからか見つけてきた炎のような色の髪を持つ子供は、その外見以外に体力や術の面で取り立てて優れている所こそ無かったが、 物事の基礎を身につける速度は他の子供に比べて異様に勝っていた。

数年の後、その村主のもとで生き残ることが出来た子供らに最後の試練が訪れたのは、生きている人や動物さえもじりじりと腐っていくのではないかと思えるほどの湿気と熱が、 幾日も続いていた真夏の事だ。その年、下忍頭は自らが育てた子供らを集めて言った。おまえたちはこれから逃げる。 おれと里の幾人かが半日の後におまえたちを追う。おまえたちは、きっかり2日逃げおおせろ、と。

こうして森や町に放たれたのは、年は幼くとも忍びとしての力をすでに持つ者ばかりだった。 捕まればどうなるかわかっている子供らはそれこそ死に物狂いで逃げ、今まで身につけた術を存分に生かす。 それが里の忍がかつてみな越えてきた古くからの習わしだった。




暗い色をして夜に沈み込む木々の中で、風は死んだように動かない。
佐助は幹によせていた顔を上げると、足の裏に力を込めて枝を蹴った。 彼は常人が見れば目眩がするような高さに生える枝の間を、獣のように移動しながら時折ふいに立ち止まり、周囲の様子を伺う。 佐助の潜む森の中には、他の忍はまだ現れていないようだった。自らの脈の音が聞こえるほど静かな空間に、佐助は息も気配も殺している。

ふいに瞳を光が差し、顔を向けて見ると先ほどまで濃紺に沈んでいた東の空が白く輝きはじめている。 まだ暖められる前の空気がその一瞬だけ澄んだように思えて、佐助は茂る葉の青々とした匂いを吸い込んだ。刺激のある香りが頭の随まで届く。

あの陽が沈むまでが、この巫山戯た遊戯の刻限だった。あと一日。 今日を逃げおおせれば、忍としての仕事に就くのを認められる。それは一概に楽になるということではなかったが、この現状よりは幾分かましだ。 その先に何があるかなどと考えるよりも、この一日が、今の彼の全てだった。

沈め。早く。
沈め。

彼は躍動する。足は撓り、土を踏むよりもしっかりと枝を蹴りつけては舞い上がった。だが心の臓だけは、不思議なほどどこまでも静かだった。

ふと、手に触れた木の幹から伝わる微かな気配が、彼の動きを止めた。 来たか、と辺りを探るが追っ手の感覚とは少し違うようだ。佐助は自らが立っている枝の上方、高く茂る木の上を見上げた。 葉をつけて細く繁る枝の中に、大柄な烏が一羽、飛ぶことを忘れたように留まっている。

佐助は烏を視野に入れたまま、自重を消すようにして枝から枝へ移る。 その度に、ばさり、と烏は体躯に見合うだけの羽をはばたかせ、佐助の頭上を飛ぶ。 いずこへと飛び去るわけでもなく、烏は悠然と佐助の後を追うように静かに舞った。たったの一声も鳴かなかった。 その姿はまるで闇に潜む忍びそのもののようで、佐助は思わず小さく笑みを零す。

おれがおまえを従えるのか?それとも、おまえがおれをどこかへ導くのか?

佐助の胸中を知りもしない黒い鳥はやはり鳴き声も上げず、濡れたような羽を朝日に光らせて中空に広い円を描く。

彼は一度深く息を吸い、目を閉じると、再び枝をしならせた。あとは鳥のことも追っ手の存在も忘れたかのように、 ただひたすら森の中を駆けた。 風を切る耳元で、空気が悲鳴をあげて高く鳴る。見る者がいない森の中で、解かれたままの赤い髪が残像のようになびいては葉に当たり、 さらさらと掠れた音を立てた。

瞬く間に光に染め上げられた早朝の暗く明るい森の中を、小柄な影は一心不乱に、どこまでも祈るように飛んでいく。








「1日前」という題でした。猿飛という性を名乗る前のイメージで。

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