不揃いな樹木のために凹凸が目立つ丘に夕闇が迫り、鳥がせわしなく鳴き始める。 周囲を浅い森に囲まれた丘の中でも一際高い杉の木に、遠目からなら鳥と同じようにしか見えない影がひとつ、 微動だにせず留まりはじめてからすでに1週間近く経っている。

あと4日。

影の主は鳥の視点から見渡せる武田の領地に目を凝らしながら、先ほど帰したばかりの国からの使いが伝えた日数を舌に乗せる。 忍ぶには目立ちすぎる地色の髪を黒に染め、顔すら黒衣で覆った姿から素性を匂わせるものは何も見うけられないが、 手練れの者にすればその体型から女であるということはかろうじてわかるだろう。

彼女は、武田と上杉の空気が変わっていくのを己の肌で感じていた。だが直接相対する日は永遠に来ないのではないかと、 心の何処かで思っていたのも事実だ。近づきすぎては敵方に悟られるが、遠すぎても内情は知れない。幾度か敵地に身を紛れ込ませ、距離を探る内に、 月日は瞬く間に過ぎていった。

だがそれでも、長居するべきではなかったという苦い後悔に、彼女の胸中はざわついている。 敵地の中を闇から闇へ潜む間に目にしたのは、期待した淘汰するべき仇敵ではなく、田畑の中で日常を慎ましく暮らす人々の姿だった。 それが当たり前の人の姿だということを彼女は忘れていた。

いやそうではない。あえて考えないようにしていただけだ。 そうでなければ、彼らがいつか我が身の敵となる時に刃が鈍る。

彼女は目を細め、朝陽の昇る方向に見える屋敷を見下ろした。武田の主が住む屋敷の内外に居を構える多くの家臣の中には、紅蓮を統べるあの男がいる。 その男の為に主張の強い影となったもうひとりの男は、おそらくここに留まるかすがの存在に気が付いているだろう。 忍びの存在は本来、ただ消してしまえばいいというわけでもない。情報源として泳がせておき、その後懐柔するのも策略の内だ。 金銭で雇われ、主を持たない忍びならばそれは珍しい話ではない。

だがあの男は、かすがが決して懐柔などされないことを知っている。
ならばなぜ、敵方の忍を野放しにするような真似をするのか。

眼下の男は時に女中に混ざって井戸端で笑い、自らの主が鍛錬の汗を流しているのを背後で眺め、屋敷に出入りする百姓に声をかける。 そして時々、かすがの潜む巨木に向けて、彼女がいることを確認するような気配を放つ。彼女にはそれが、何かを厳しく問い質されているようにも思えた。 かすがが此処へ潜んでから数日。男は執拗なまでに普段の生活を変えようとしなかった。

いまの彼女はすでに、自らが欲しているものがなんであるのかわかっている。 そのために、罪のない人々が己の刃に散るかもしれないという現実は一瞬の迷いにすらならない。 暮れ始めた集落では変わらず、和やかな夏の一幕が、尾を引くようにして漂い続けている。

身を隠す杉の木が闇の中に沈む。かすがの目の前を一羽の烏が高く鳴きながら横切り、微風に微かな音を立てて揺れる木々の中へと消えていく。 その鳴き声が寂しい哄笑のようにも聞こえて、彼女はふと、あの男はいま何を考えているのだろうかと思い、そしてそれを考えた自分を嫌悪して、 覆われた口元から浅い息を吐きだした。








「4日前」という題だったもの。いきなり暗いかすが。かすがを明るく書けるひとがいたら見習いたいです。

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