雨を歩く 上から下へ、雨粒は不規則な流れとなって体の表面を滑り落ちていく。 見上げずとも目に入って来る空の色は、雨雲独特の仄かな明るさを湛えて戦場を覆っていた。 雨の多い季節を厭うことが多いのは、日常の生活習慣が否応なく変更させられることへの不満感からも来ているのだろう。 その点、佐助の仕事には天気による別はない。むしろ気配を忍ばせることを常としている身に、降り続ける雨の気は情景と己の姿を同化させる一つの術になる。 だが、好きか嫌いかという話とは別だ。 あらかた敵も引き上げ、「もの」になり果てた亡骸たちとここにある己の体だけが天と地の間に残される。 軽く獲物を振って水滴を飛ばすと、鈍い光を返す刃の表面からはすでに戦の痕跡は消えはじめていた。 この、出来すぎた感じが嫌いなのだ。 幾多の血を吸った地面と、残ったものたちに降り注ぐ雨。 物悲しさを否応なく演出し、目の前で起こったことを何度も繰り返されてきた、どこかの情景のひとつにしてしまうような感覚。 冗談じゃない。 佐助は本降りになってきた雨の中で雲を見上げる。 一度きりだ。 何度繰り返したとしても、たった一度だ。 防衛に回った闘いで、犠牲が少ないわけがなかった。負けに近い辛勝であったという部下からの報告をうけ、 本陣へ伝えるために帰ろうと佐助は一度あたりを見回す。その目に、本陣とは逆の方向から歩いてくる人影が映った。 その人物は数歩進んでから顔を上げてこちらを見る。 重さを感じさせる暗色を背景に、男は赤くその身を浮かび上がらせて立っている。 離れた位置からでも彼が片腕を負傷しているのは明らかだった。地にいくつも穿たれた穴に溜まる水を跳ね上げながら、佐助は幸村に駆け寄る。 彼は痛みに眉を寄せているが佐助の焦りに釘をさすことも忘れなかった。 「そのような動き、忍とは思えんな」 「無駄口叩いてないで止血。足も動かさないで」 「こちらは大事ない。戦況は」 勝ったよ。そう言った佐助の声だけで、彼は理解したらしい。 いつもの煩いほどの反応もなく、ただ佐助のするがままに任せて腕を預けている様子に、何も言えなくなる。 「止まぬな」 雨が。幸村は顎をひいて地に言葉を落とす。彼の敬愛していたある年嵩の武将が亡くなったということは聞いていた。 その武将は佐助にとっても縁の深い人だった。 誰にも、明日は約束されていない。 この空の下でも鮮やかな鉢巻と装束の先からは、ひっきりなしに水が滴っている。 「田でも、見に行きましょうか」 そう呟いたのは佐助だった。幸村は顔を上げて佐助を見る。田を?不思議そうに言葉をなぞって繰り返す。 「それから、林を通って丘へ出て、そこから俺たちの住んでいるところを見下ろしに行きましょう。 この時期なら、方々に咲く紫陽花が綺麗に見えるだろうし。どうです?」 「構わぬが…」 おかしなやつだな。幸村はやっと少し笑みを見せると、佐助が一応の処置を済ませた腕を上げて動きを確かめる。 「この雨のなかをわざわざか?物見遊山なら晴れた日の方がよかろうに」 「雨の日に出かけちゃいけない理由はないでしょう。久しぶりの雨なんだ。田やら森なんか、かえって生き生きしてるかもしれない」 雨は嫌いだ。戦場にいるかぎり、それを好きになることはないだろう。 だが今日まで命を繋いでこられたのは、この雨が育てたものの中に自分が、そしてこの男がいるからだ。 作物に降り、人に降り、国に降る。 晴れては降り、降っては晴れる。 そうした自然の繰り返しのように、己もこの男も死んだものたちも、どこかでまた繰り返されるのかもしれない。 それでも、いま落ちて流れていく雨の一粒でさえ、決して同じものは無い。 しばらく黙っていた幸村は、濡れた髪の水気を自由に動く片手でがしがしと払ってから頷く。 「そうだな、しばし紫陽花見物と洒落込むか」 「まぁこの怪我じゃ、屋敷を出る前に誰かに止められるかもしれないけどね」 「構わぬ。止められたらそいつも連れていけばよい」 では、帰るとしよう。 背筋の伸びた姿勢で歩き出す幸村の横に並ぶ。ぬかるんだ地面に足をとられた幸村が、とっさに佐助の肩を掴んだ。 冷えた身体には、その重みだけが新鮮な感覚として響く。彼は佐助の肩から背中へ走っている新しい傷を避けて、手の場所を変える。 この手を生かす一雫の甘雨の役割を、自分は担えているのだろうか。壊されたものたちが土台となってやがて築く豊穣の時には、いったいどこにいるのだろう。 初めて触れられたような錯覚すら覚えそうな熱を宿した手は、一度だけ強く肩を掴むと、ゆっくりと離れていく。 佐助の肩から流れていた血は雨に混ざって背を伝い、そのひと筋が、もの言わぬ亡骸の横たわる地面に吸い込まれていった。 蛇足 猿飛佐助雨に嫉妬するの巻。ひねくれた愛情の示し方は佐助ゆえ。幸村はそれをなんとなくわかってればそれでいい。 |
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