中空の道




ごうごう、と言う形容詞はあながち間違ってもいない。そう思いながら牛も押し流すような濁流を吊り橋の上から眺めていると、 山中にしては派手な色彩が橋の先にちらりと見えた。人影らしいそれは若い男のようだ。 長髪を風に煽らせた彼が毛羽立ってしまっている板へ足をかけると、橋は一度下へ大きく揺れ、すぐに上へ戻る。揺れに少しげんなりしながら顔を向けると、 歩いてきた男はこちらへ二歩進んでから立ち止まった。彼が肩に預けている刀は、それが刀だというなら、ほかの刃物など針にも及ばないような代物だ。 大柄な彼の背丈を軽く越える長刀は、槍としても使うのだろう。刃先がまるで新品のように透明に光っている。

「あんた、楽しそうだな」

橋の片側の縄にもたれるようにして立っている佐助を見て、派手な着物を着崩した若い男は邪気のない顔で笑いかける。 それに応えるように、佐助も顎をあげて笑い返した。

「へぇ、そう見えるかい」
「さっきから顔が笑ってるだろ」
「あんただって、ずいぶん楽しそうに見えるがねぇ、前田の若旦那」

そりゃそうだろ?と眉を上げながら、慶次は刀を肩から離し、佐助へ向けて軽々とかざす。正面から見る刃はやはり、様相の勇ましさに似つかわしくないほど薄く研がれている。 綺麗な刃だ。

「あんたが手強そうだから、嬉しいんだよ」
「コワイねぇ、そう急くなって。あんたの相手は俺より適任がいるってのに」

その言葉尻が消えないうちに、長大な刃が無造作に突き出される。身を引き、距離を離してから真っ直ぐな軌道を描いて迫る刃を自らの得物で弾いた。 反動をつけて宙へ飛び、ぐるりと回った視線の下で、火花の欠片がちりちりと光る。橋が上下に大きく、ゆっくりと揺れた。 男の背後から強い風が吹きつけてきて、木々と橋をさらに揺する。

「ここをどこだと思ってんだか。少しは加減ってものを考えなよ」
「どうしてもここを通る気だろ? なら、あんたも俺の喧嘩相手ってわけだ」
「そりゃどうも、ご苦労様。さっきここを逃げていった腰抜け兵たちを、そこまでして守ってやる理由があんのかい」
「理由なんてもんは犬に喰わせちまったな」

下方へ提げた刃を斜め上方へ斬り上げながら、男は楽しそうに笑う。その二撃目を、佐助がやはり後方へ飛び去りながら凌ぐと、 振り上げた位置で刃を止めて男が不満そうに眉を寄せた。太陽を遮った刃が黒い影になってくっきりと薄い色の空に浮かんでいる。

「武田の忍びってのは上杉にも負けず劣らず強いって聞いてたんだが、ありゃ嘘かい」
「ああ、そりゃあ間違いだ。上杉なんかじゃ、うちの相手にゃならないさ」

笑いを堪えるような奇妙な表情を浮かべた慶次は、目を細めて佐助を見る。

「想像してたのと違うな。あんたみたいな忍、うちにはいなかった」
「よく言われるよ。でもそれを言うなら、若旦那みたいな大将も珍しいだろ。自分の死に様は考えたことがないって体だ」

そりゃどうかな、と、言う言葉と同時に慶次は空から刃を振り下ろす。それを相手の脇を擦るように近く移動しながら佐助が避け、 慶次の背後へと回り込むと可笑しそうに笑う。

「へぇ。人に歴史あり、ってヤツか?」
「あんたもだろ。そういう台詞を吐く奴は、大抵な」

そりゃどうかなぁ、と佐助が答えると同時に、空気を叩くような羽音がひとつ、近くで聞こえた。 上空で旋回していた黒い鳥が、低く体勢を変えながら降りてきて、佐助の肩に止まる。振り向き様に、もう一撃加えようと構えていた慶次が動きを止める。

「良い鳥だ。利の鷹には負けるけどな」
「そりゃどうも。さて、そろそろお役ご免かな」

笑いながら、佐助は慶次を促すように橋の下を指さした。人が通れるはずのない流れの速い水面に、いつの間にか丸太に近い木を渡した簡易な橋がかけられている。 その上を次々と人影が移動していき、対岸へと消えていく。武田の軍勢が、慶次が時間を稼ぎながら逃がした兵達に追いつくのに、そう時間はかからないだろう。

「言い忘れてた。俺はタダの囮で、あっちがうちの主力だよ」
「冗談だろ。下っ端でもねぇあんたがか?」

呆れた口調で刀を下げた慶次に、佐助は満足そうな笑みを向ける。

「いや、お陰で上手くいきそうだ。礼を言わせて貰わなきゃな」

佐助は川を渡っていく兵達にひらひらと手を振っている。だが急にその手を止めると、完全にやる気をなくしてつまらなそうに横を向いている慶次に笑いかけた。

「ほら、うちの鬼神がお出ましだ」

葉をつけた枝が所々に残る橋の上に、暗い色彩の中で一際目立つ赤い人影が立っている。 この距離では表情までは見えないが、両手の槍が角度を変える度に光を返す。人影は前を向いたまま、一度も上空の吊り橋を見上げず、そのまま対岸へと走り去った。 慶次は真顔で口笛を吹き、見栄を切るような動作を付けて背を向けた。

「おや、お帰りで?」
「ここを守っても意味がねぇとあっちゃ、退くしかねぇさ」
「うちの旦那は死ぬほど強いから、気を付けてな」

歩き出していた彼が肩越しに半身だけ振り返り、口元で笑った。橋を大仰に揺らしながら、慶次は来た道を足早に戻っていく。 彼が最後の一歩を橋から離した瞬間、強い風が木で作られた中空の道を大きく揺らす。佐助は彼の色彩が視界から完全に消えたところで、初めて自分の背後に声をかけた。

「気配消すの上手くなったなぁ。俺に弟子入りすりゃ、忍にもなれんじゃないの」

彩度が低い木々の中から、夕陽のような色を引き連れて現れた幸村は、面白そうに笑っている佐助に不満そうな顔をする。

「つまらん」
「だろうねぇ」
「慶次殿は」
「橋の下に向かったんじゃない?旦那の影に気が付く前に、俺らがここを抜けねぇとな」

その声を聞いていないのか、幸村は見えない姿を見るように森に目を凝らしている。佐助の大げさな溜息を耳にして、やっと顔を向けた。 呆れたような目をして佐助が口を開く。

「果たし合いなら良かったか?」
「わからん」

解らないことなどないような、はっきりとした声だった。

「あんた達に会われちゃ、こっちもあっちも困るんだよ」
「わかっている。だが、つまらん」
「残念だったなぁ、慶次殿と私怨がなくて」

揶揄した台詞は苛ついた気分を隠すためだったのだが、言ってしまってから失敗したことに気が付いた。だがもう遅い。 せめてそれを悟られないように、幸村から視線は外さなかった。主は少しの間黙っていたが、ふと前を見て呟く。

「この腕だけでは得られぬものもあるのだな」

何をいまさら、と笑いつつ、佐助は幸村から視線を外した。
背を向けた幸村は、お前は来なくていい、と言い残し、あとは何も言わずに橋を駆け抜けていく。 佐助は枝振りの立派な木に登り、彼の後ろ姿を見送った。荒れる幸村の相手をさせられる兵達は気の毒だが、それも幾度かあったことだ。 幸村と慶次が“無駄な諍い”をしないよう、囮と影を使った策が幸村のいないところで決められたからといって、それに逆らうほど子供でもない。

枝の間から腕を伸ばすと、空を舞っていた鷹が佐助の腕に降りた。手甲越しの暖かみのない重さが腕にかかる。 木々の間から、のどかともいえる山間部の風景が見える。腕の鳥は一点を見つめたように身動ぎもしない。 鳥を再び宙へ放すと、離れた場所からこちらへ向かって、同じ形の影が近づいてくる。そのまま太陽に向かっていった二つの影は途中で幾度か上下に重なり、 やがて完全にひとつの影になると、空の真ん中で煙のように消えていった。







蛇足

はじめから知りすぎていたそんなこと平行線は末路さえなく

新年から煮え切らない。感傷は書かないつもりだったのにな…。いまいちらしくない慶次に、書き手の無理が見え隠れ。

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