乱天唱歌




武田の陣を指揮する武将が、大声で幸村の名を呼んだ。
血飛沫を避けながら敵の身体に食い込んだ苦無を抜いて、佐助は声の方向へ顔を向ける。 自分の立っている地点から急斜面を見下ろすと、砂埃が覆う戦場が広がっている。赤い武田の軍勢と、鼠色に近い敵軍は一進一退を繰り返して斑の模様を描いていた。
その先に、よく知った姿の男を乗せて、一騎の馬が走り出ていくのが見える。

思わず舌打ちが漏れたのを聞いた者はいないだろう。周りには真新しい死体と、様子を見に来た味方の兵しかいない。その場を他の者に任せ、佐助は樹上から戦況を確認する。 馬上から二槍を振るう男が向かっているのは、壊れかけている右翼の陣だ。 気持ちはわからないでもないが、単身で向かうのは無謀すぎる。
仕方がない。
苦無から大型の手裏剣へ獲物を持ち直すと、樹から飛び降り、赤土の目立つ斜面を勢いのまま下った。 身体の周りをごうごうと音を立てて通り過ぎる風には、火薬と血と土の臭いが混ざり合っている。嗅ぎ慣れることのない日常の臭いだ。 味方の兵が、人波を走り抜ける佐助に馬で併走しながら幸村の行動を伝えていく。

「ご苦労さん。右翼は俺たちが行くから、いまは放って置いていい」
「承知」

兵は馬を返して佐助の元を離れる。
さて、どうするか。
じっくりと思案する間もなく、数騎の馬が佐助の姿を認めて追いすがってきた。指揮する武将の声が響き、砂埃を巻き上げながら五、六騎が周りを囲もうと馬を駆り立てて迫る。

この間合いに入る、その意味がわかっているのだろうか?

馬の鼻息が横へ並ぶ刹那、佐助は重心を後ろへ倒し、飛び退きながら馬の足を狙って獲物を振るった。体勢を崩した一騎に巻き込まれ、けたたましい鳴き声と共に二騎が倒れる。 なおも足を止めない佐助の前方へ回り込もうとした残りの数騎は、投げられた飛苦無に馬の目を射られ、ことごとく転倒した。
時間にして数秒の事だっただろう。

思わぬ被害に、武将は驚きと共に馬を止めた。
だが、彼に忍ぶ者の姿は見えていない。
あるいはその風音だけは聞こえていたかもしれないが。
佐助は彼の背後で軽く飛び上がると、その首へ刃をかけ、体重をかけて地面へ降り立つ。 首のない身体が馬から振り落とされると、背後で悲鳴が聞こえた。

「ここは引いた方が賢いって伝えてきなよ。馬が可哀相だ」

後ずさる敵兵に掴んでいた首を放ってから、佐助は間近に迫った幸村の背に向けて走る。すでに馬から降りた幸村は苦戦する陣へ混じり、頭抜けた働きを見せていた。 味方の兵が佐助の姿に志気を上げるより早く、幸村は痩身を捻って佐助のいる後方を正確に見遣る。
その目が、いつも厄介だ。
激烈な戦の最中にあってその色だけが、己の奥底に楔のように刺さる。

「佐助、早かったな」

幸村は真横の敵に刃を突きだし、そのまま横様に払って後方の敵を斬り伏せながら満足そうに笑う。軽く溜息をついて、佐助は主の背後に影のように移動する。

「ちゃんと伝令兵は始末してきたからな。それより、あんたが勝手に動いたら困るんだけどねぇ」
「小言は後で聞く。おまえが来たなら、ひとつ頼みたいのだが」
「はいはい、そう来ると思ったよ。…おっと、」

幸村の背後を狙おうとしていた弓兵を一閃でしとめると、正面から別の兵が突っ込んでくる。佐助はそれを飛び退いて避け、幸村の肩を軽く叩く。

「頼むぜ旦那」

暗黙の了解で佐助の背後から現れた幸村が、怒号と共に敵の足下から斬り込んだ。
風が起こるほどの加減のない刃に、数人が纏めてなぎ倒される。仲間が次々と音を立てて叩きつけられる、その様子を見て敵兵たちがじりじりと後ずさった。 槍を持ち直して気勢を上げる幸村に、味方の兵がどっと歓声を上げる。

「やるねぇ。あんただけは敵にしたくないわ」

軽く口笛を吹いた佐助をちらと見ると、幸村は佐助にしか聞こえない程度の声で囁く。

「おまえ、左手首の動きが少し硬いな」
「そう?あんたは力入りすぎだよ。いつものことだけどさ。…で、どうすんの?」
「あちらの左翼、切り崩せるか?」

背中合わせに幸村と言葉を交わしながら、佐助はにやりと笑う。

「旦那の命令なら、出来ないとは言えないねぇ」
「任せたぞ。だが、なるべく早く帰れ」
「おやおや、人使いが荒いな。誰かさんに似て」

幸村はふと笑ったがすぐに笑みを消し、幸村を守ろうと前方へ出た味方の襟首を掴んで後ろへ引き倒す。 そして頭上へ飛んできた数本の矢を、一振りで叩き落とした。申し訳ありません、と謝る兵に頷きつつ、幸村はさも当然と言わんばかりの声で応える。

「戦の終わりには、早く戻れ。勝利の酒はひとりで飲んでもつまらぬだろう」
「ああ、そりゃ違いないわ」

兵のひとりが幸村へ、信玄の命を伝えに来た。中央が崩れてきた敵の陣に対して、雁行から魚鱗の陣へ体勢を変えるという。魚鱗の陣はほぼ三角形の陣形で、当然先鋒が敵に最も接近することになる。 数人の武将とともに幸村はその先鋒へと呼ばれた。 すぐに行くと答え、佐助を一瞥すると、幸村は動き出した兵たちに続く。その背中へ、佐助が声をかけた。

「酒なら、先日いいのが手に入ったんだ。そいつを開けるかい?」
「それは楽しみだな」
「隠し場所は俺しか知らないからな、今度あんたにも教えておくよ」

振り返り、喜色を浮かべた深紅の姿はいつもより若く見えた。
酒宴と戦に同じ種類の高揚を表す男の目は、次の瞬間に訪れるかも知れない死より、数時間後に控える他愛もない約束を強く映しているのだろう。 あるいは、戻れない日が来ることを覚悟しているからこその輝きなのか。

「では必ず、果たして戻れ」

この主のもとで己に出来ることは、その期待を裏切らないことだけだ。佐助が片手を上げて了解の意を伝えると、赤さを増した戦場に於いても一際目を引く紅蓮の槍を携え、幸村は大勢の兵に紛れていく。 味方の忍びを呼び寄せ、佐助は主の指示を伝えた。人垣の上を飛び越して一斉に散っていく彼らの姿を見届けてから、力を込めて地を蹴る。

さて、どこへなりとも行こうか。

敵軍の黒い波が迫り、大勢の声と声が飽和する戦場で、ひとつひとつの音は消えていく。
だが、消えない音もある。
多くを斬り伏せ、死地を切り開いていく佐助の耳にいまだに響いているのは、確かに己に向けられた声だ。その声が導く場所へ帰るためだけに、佐助は乱れ始めた敵陣の直中へと刃を振り下ろした。

数多の命が大きなうねりを見せる戦場の上で、太陽は未だ天頂に届いていない。







蛇足
戦闘部分が書きたかっただけの話でした。互いの背中を守るのは浪漫ですよね!ふたりの攻撃方法の差とかを、もうすこし明確に出したかった。うーん精進!!

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