夏の仏花売り




いつもそんなことは無いのだが、何故か今日は誰に会っても似たような表情をされる日だった。 手にしていた夕陽色に咲きこぼれる菊を目の前に突きつけると、額に張り付いた前髪から汗を滴らせて縁側へ腰掛けていた幸村は訝しげに顎を引く。

「なんだこれは」
「使いのおまけ。旦那にやるよ」

稽古を終えたばかりの男は、佐助の言葉を聞いてますます困ったように唸る。本格的に悩み始めそうな彼の様子に、 なぜこの男はこんなに融通が聞かないのだろうと呆れつつ、冗談だよ旦那の目当てはこっちだろ、と佐助は携えてきた包みを渡した。 見慣れた菓子屋の包みだが、中にはいつもと若干趣の異なる菓子が入っているはずだ。早速包みを開いた幸村が葛饅頭か?美味そうだな、 と感嘆の声を上げた。

「頼まれたものとは違うけどな。あの親爺の口車に乗せられてやったよ」

肩を竦めながら隣へ座る佐助に、風情があって良いではないか、と風情などとは縁遠そうな手つきで笹の葉を剥がしながら幸村が答える。 現れた濃い霧を固めたような瑞々しい菓子は、適度な張りのある表面に作りたての艶を浮かべていて、 さほど腹の減っていなかった佐助にも手を伸ばさせる魅力を放っていた。

で、それはなんだ?幸村は菓子をほおばったままの不明瞭な発音で、佐助が指先につまんでいる花に興味を示す。 その口の端にはわざとやっているのではないかと疑いたくなるくらい、しっかりと餡が付いていて思わず力が抜けた。 いくらなんでもそりゃ良くないな旦那、と佐助が手拭いを差し出すと、幸村は一瞬なんの事かわからなかったらしくじっと手拭いを見てから、 ようやく合点がいったように白い布を受け取る。

「花売りの娘がどうしてもっていうもんでね。断るのも気が引けるだろ」
「またおまえ…声でもかけたのか?」

口元を拭いながら渋い顔をする幸村の言葉に吹き出して笑いながら、佐助は花を脇へ置くと首を振る。

「その言い草は聞き捨てならないねぇ。倒れた娘を助け起こした男が言われる台詞かい?」

つい先ほどの事だ。
いかにも名の在りそうな様子を全身でひけらかした男が目の前を横切ると同時に、足下で小さく叫ぶ声がした。 往来の喧噪に気を取られていた佐助が踏み出そうとしていた足を慌てて引きながら視線を落とすと、まず色鮮やかな花弁が撒き散らされた姿が目に入る。 その傍らに小柄な娘が、桶から零した水で色を濃く変えた地面へ両手両膝をついてしゃがみこんでいる。

嬢さんちょいと大丈夫かい。

上から降ってきた声に顔を上げた娘は、自分へ手を伸ばしている男に戸惑いを隠さない曖昧な笑みを向け、ありがとうございます旦那、 すぐに退くんで許しておくんなさいと早口で言う。

立ち上がろうと苦心する娘の様子から、彼女の足が人より不自由なのだということはすぐに分かった。
あんた無理しちゃいけないねぇ。ほら、と手を差し出す佐助に娘はなおも恐縮したが、逡巡はかえって失礼とでも思ったらしく、細いながらもしっかりと筋の張った手を佐助に預ける。 かろうじて売り物になりそうな花とともに往来から離れた場所まで連れて行くと、娘は未だ幼さが残る顔に真剣な表情を浮かべて頭を下げた。 そこでやっと、身を偽るために着ている刺繍と摺箔で彩られた鴇色に近い小袖が、自分を大店の若旦那にでも見せているらしいことに気が付いた。
賑わう町に出るときは、これくらい派手ななりをしている方がかえって目立たない。だがいつも見知った人間にしか声などかけないので、 自らの格好が初対面の人間に与える印象を不覚にも失念していた。

どうしても礼をさせて欲しいと、一歩も引かない強引な様子で言い募る娘に、佐助は苦笑しながら花の覗く桶を指す。 なら、そいつをすこし見つくろってくれよ。あんたの目利きでさ。娘は困ったようにこれをですか、と言葉を濁す。 仏花だろ?だけど仏さんだけにあげるにゃ勿体ない咲きっぷりに、俺も惚れちまってね。

佐助の口調に娘はやっと年相応の笑顔を見せ、火花のような花弁を黄橙に染めた菊を佐助に渡す。 最初に旦那さんを見たとき、こいつのような綺麗な御髪に見とれちまったんですよ。だからこれを。 娘は振り返りつつ2、3度会釈を返し、足の具合のために肩で調子を取るような歩調で去っていった。
この着物はもう着られないが、どうせ借り物なのでそれはどうでもいい。袖に忍ばせてやったおあしに気づいたときの彼女の様子を想像しながら、 本来の用向きを果たしに自らも雑踏へ再び紛れた。

かいつまんだ話を聞いていた幸村は佐助の横に置かれたその菊を手にとると、それにしても仏花とはなと呆れた声を出した。

「俺らしいだろ?」
「おまえらしすぎて笑えぬ。信心も縁起も嘲笑いおって」
「旦那の信心だって十二分に俗だよ。心配しなさんな」

幸村の代わりにからからと笑い、だけど見事に咲いてるだろ、大事に育てたんだろうよと言う佐助の言葉には幸村も頷いた。

「これなら、供する者の心も癒されるだろうな」
「旦那は面白いねぇ。わかってるのにわかってないように見えるところが」
「死者を思う己を慰めることは、愚かか?」

いいや、悪くないさ。そう答えた言葉に嘘はなかった。墓前に咲き誇る花は供えた者の心を安らがせるために存在するとしても、 それは死者への一途な想いが前提であることには変わりがない。己の満足のためにすぎないのだと笑うことが出来るものはいないはずだ。

だからこそ名も知らぬ娘に、不自然に染まった髪色を人を想うための花と似ていると言われて、少なからず驚いたのだ。 足を引いているだけでそれとなく町の者から避けられていた娘が、得体の知れない男に悪意のない反応を返してきたことにも心が動いた。 敵対する者を見つけるのに必死な者が多い中で、物珍しさを疎まれないのは稀だ。

それを思うと目の前にいる男もまた、珍しい人間のひとりではあるのだろう。初対面の男の髪へ、好奇を溢れさせた瞳で無遠慮に手を伸ばした幸村は、 あのとき何と言ったのだったか。あえて心に留めることを避けてきたとはいえ、それほど遠い過去でも無い出来事がもう輪郭を失いつつあることに、少し寂しさを感じる。 ただ、その言葉を聞いたときの軽く痺れるような感覚だけは、今でも鮮明に覚えていた。
当の主は手にした鮮やかな色彩を、ある種の残酷さも潜む子供のような顔でしげしげと眺めている。

「仏花と言っても、こうしてみると美しいな」
「ああ。それに菊ってのは元々は祝いの花だろ?だから墓前に供するのも、俺には死んだやつを祝ってるように見えるね」

祝うか、と幸村は花から庭へと視線を移しながら呟く。

「早々に地に張り付くのをやめられたんだ、祝い事には相応しいだろ」
「死んだ者には、勝手な言い分に聞こえるだろうな」
「そうかい。湿っぽくされるより、よっぽどいいと思うがねぇ」

そう言いながら、もし自分が次の夏に季節の味を謳歌することもなく、まとわりつく暑さも感じず、隣に座ることもないとしたら、 この男は何を思うだろうかと考えていた。あるいはこの男がその手から色を無くして、永劫この地から去る日の方が早いかも知れない。 どちらかの不在を許した時に、目に映る花は佐助の言葉の通りに残るものを慰撫し、そこにいないものを祝うだろうか。

「あんたは祝ってやれよ。その方がいい」

その言葉は、幸村に言ったのではなかったかもしれない。答える代わりに主は脈絡なく伸ばした手で佐助の髪をばさばさと乱す。 かつての無邪気さとは違うらしいその意図は、彼の顔を見てもよくわからなかった。





顔を上げて最初に目に入った男は、まだ幼いと言ってもいいくらいの年齢だ。これから主と呼ぶべき男の見た目に不安を感じる間もなく、 大股で近づいてきた少年は正座している佐助の前にしゃがみこみ、その髪に手を差し入れた。唐突な行動にどんな反応をするべきか迷っていると、 少年の後ろから入ってきた武田の主が幸村、と呆れた調子で声をかける。
髪から手を離した少年はすっきりとした姿で慇懃な挨拶をした後、お館様、これここに、部屋の中に夕陽がございます、 と悪びれない笑顔で佐助の髪を指さした。


思い出した、と亡骸が転がる道の端に立ちながら佐助が呟いた声は、陽も満足に差さない暗い森の中へ吸い込まれていく。 おそらく足下に力無く横たわる男を追う道すがら見た、あの菊に似た花のせいだ。 音よりも画として、望んでいた記憶は真新しい色を伴って現れたが、思っていたよりも心は動かなかった。

本当はなにも変わっていないのかもしれない。
それなのに悲しさや嬉しさにためらいを持つようになるのは、年月を重ねることが弱くなることと同義だからだろうか。 たとえ幻想だとしても、重ねられた感情が多ければ多いほど、絡まった糸のように想いをほどくことは難しくなる。

男の足に踏みつけられて散った花は仏花売りの娘が道に零した花弁の姿と重なって、脳裏にその無垢さを主張している。

だがここにはあの娘の笑顔も、かつての少年の熱い手もなく、ただ空を焼き尽くす夕陽のような花の幻影が、 光すらも完全に吸い取ってしまった闇にちらちらと浮かんでは消えていった。







蛇足
塵も積もれば。

お題「髪」なはずがかなり微妙です。幸村の髪色だって薄いとか、 仏花売りはほとんどが男だとか、戦国時代にはたぶんいないだろうとか、いろいろ目を瞑ってください。え、江戸パラレルなんだよ…!(微妙)
6/17 改訂

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