皐月憧憬 




「いくさ?好きなわけないでしょ」

何言ってんの、と呆れる佐助に、目の前にどっかりと座った幸村はそうだな、と考え込むような声を出す。
水に滲ませたような薄い雲が、五月に入り透明度を増した青空に散っている。 縁側に腰を下ろして長閑さを絵に描いたようなその空模様を眺めながら、忍び道具の手入れに本腰をいれていた佐助の前に現れたのは、 戦場でしか見せない真顔を携えた幸村だった。彼は腰を下ろし黙ったまましばらく佐助の手元を眺めていたが唐突に、なぁ佐助、戦は好きか?と問い、 佐助の答えを聞くと不満とも満足とも言わずにまた黙り込んでしまう。

「なんなの旦那。気になるでしょうが」

重さを感じさせない声音を選んで問うと、信玄譲りの剛胆さと対比して、彼自身が本来持っているその繊細さが眉間に浮かぶ。
いつもとは様子の違う彼を心配する気持ちはあっても、そのまま口に出すことはしない。幸村のような男には、直接的な物言いが時に逆効果にもなるからだ。

「茶をかけられた」
「は?」
「昼間立ち寄った茶屋で、そこの娘に運んできた茶を、こう、ザバっと」
「そりゃまた愉快な話で」

手振り付きでその様子を再現していた幸村は佐助の軽口にむっとした顔をするが、佐助はその眼光を笑顔で受け止め、それで?と先を促す。

「おまえたちが好きでやってる戦に、わたしたちを巻き込むなと言われた」

なるほど。それが佐助に呆れられた質問の出所だったらしい。

「娘の婚約者は死んだのだそうだ。彼は商人で、届け物をしに行った先で戦の火に呑まれたと」

乱世とはいえ、武人でもない男が戦の犠牲になるとは、家族や婚約者のその娘にも、想像が付かなかったことだろう。身内の前や屋敷内では弛緩した顔を見せるこの男も、外ではお館さまの面目が立たないからと武人然とした振る舞いをする。そんな幸村の姿を見た彼女の中に、どのような感情が渦巻いたのだろうか。娘のしたことに狼狽して幸村に謝り続ける両親に反し、彼女は唇を噛みしめてじっと地面を見つめていたという。 彼女の瞳に何が映っていたのか、佐助は想像しかけてやめた。深追いするべきはそちら側ではない。

「そんなこと気にするなんて、旦那らしくないね」

茶化すな佐助、と苦笑する幸村の横顔が思ったよりも大人びていたことに、少しだけ居心地の悪さを感じる。
初めて会ったところの幸村は、未知の状況に立ち向かうために精一杯の虚勢を込めた瞳を向ける少年だった。だがいまや、戦のさなかに時折余裕さえ見せる若く頼りがいのある武将のひとりとなっている。こうして戦のない時間には、世話のかかる大きな子供のような顔を見せていたとしても。 そうしてためらい無く変わっていくことが出来るのは、未来を信じて疑わない意志があるからだろう。佐助はそれを羨ましくさえ思うが、口にすることは無い。

「旦那が気にすることじゃないでしょ。それとも何?旦那は戦を望んでるっての?」

すぐに否定の言葉が返ってくると思ったが、幸村は佐助の手元に置かれている武器に視線を落として口ごもった。

「わからぬ」

軽い溜息とともに吐き出された声は、内容に反して意外にも清々しい響きを持っている。 言葉の意図をはかりかねて彼の顔を見ると、幸村は縁側に足を投げ出したまま畳へ寝ころんだ。

「某が望んでいるのは、お館様の望みと同じだ」
「よーく知ってるよ。戦は、それを叶えるための手段の一つ、でしょ」
「そのつもりだったのだがな…。時々、何も感じていない己が恐ろしくなる。俺は、刃の為だけに闘っているのではないかと思うときがあるのだ」

幾度も幾度も戦場で刃を交わらせていると、やがて瞳には何も届かなくなる。
顔を上げて見渡しても群がりながら層をなして押し寄せてくるのはもう人に見えない。
人ではない。
ただ人の形をしたなにかが絶えず叫び怒鳴りながら、目の前へ現れるのを目で捉え、一つずつ、的確に刃を踊らせる。
その行為には、感情というものが不要だ。
持っていても刃が重くなるだけで役にはたたない。
少なくとも、佐助にとっては、それが「正しい」戦の姿だ。

だが幸村は。自分の主は、違う。

強くなりたかった。幸村は天井へ向けた瞳に何かを見つめながら、肌の上を撫でるだけの風に髪を揺らして呟く。

「強くなれば、それがお館様の為になる。全てはお館様と武田のためと」

勢いを付けて起きあがり、佐助の顔を捉える彼の双眸には己の姿が映っていて、その顔がまともに見られない。

「だが、それを選んだのは俺だ。なぁ佐助。俺は、望んで人を殺しているのか?俺がお館様の為にすることは、本当にこれでいいのだろうか」

佐助は目眩に似た感覚を覚えてゆっくり一度目を閉じる。
ああ、この男は。
鬼神のように刃を振るうこの男は、そんな自分の行為を正面から見据えることが出来るのか。
屠る相手の顔を、この男はしっかりと覚えているのだろう。人だと感じながら、それでも自分が守るもののために屍の山を築いて、歩いてきたのだ。
妬ましいほどに強い心。
敵も、自分すらも人と思わないことで、ようやく保っている己など話にならない。

「旦那」

佐助は手入れが途中のままだった道具を脇へ寄せ、正座をすると幸村に向き直る。改まった声に幸村が身構えるように姿勢を正す。

「俺は、あんたの忍びでいられるから、この世に感謝できるんですよ」

佐助の言葉に、彼の眉間に漂っていた影が和らぐ。瞳が揺れて、視線は自らの手へ落ちた。
優しい男だ。誰よりも強く生きることは深い悲しみの中で生きることでもある。
この男のようになりたかった。

「たとえ何千何万の人が旦那を恨んだとしても、俺は、旦那を自慢に思うよ」
「なんだか、面と向かって言われると照れるものだな」

困ったように笑う彼は凪いだ水面のように静かな清々しさの中にいる。
たとえ戦の血に汚れても、彼の眩しさは変わらない。
羨ましいと思う。だが同時に、その光は佐助にとって、いつでも希望で在り続ける。

「俺だけじゃないんじゃない?こう思ってるのはさ」
「…そうか」

幸村はふと庭へ目を向ける。佐助もつられて視線を移した。
陽はまだ高い。初夏に向けて緑が濃さを増していく地面には、木々の長い影が落ちている。

「また威勢良く草が茂るな」
「夏になったら草刈りしなきゃね。雑草はすぐ生えるから大変だよ」
「それでも、生きているものはいいものだ」
「…そうかもね」

数多の命を奪ってなお、生きているものを愛でられるのが人だ。
矛盾している。だがそれも、悪くないと思う。
邪魔したな、と幸村は立ち上がると佐助を見下ろす。その表情にはいつもの生気が宿っていた。休息を終え、またひとつ歩を進める男の顔だ。

「聞いてもらって清々した。変なことを言ってすまなかったな」
「お役に立てれば光栄至極ってことで」

いつもの笑みで返した佐助に頷いて背を向けた幸村は、そうだ、と声を上げて佐助を振り返る。

「俺も、感謝しているのだぞ」
「何にです?」
「おまえと、おまえをここへ呼んだ天のめぐりにだ」

そりゃどうも、と笑う佐助に本当だからなと念を押して幸村は廊下の角へ消える。佐助はその姿を見送ると、先ほどの幸村のように縁側へ足を投げ出して廊下へ寝転がった。
出来ることならいま、世界か自分か、どちらかが消えればいいと思えるような空が体の上に広がっている。
死んでもいいと思える瞬間とは、こういう時のことをいうのだろう。

明るい午後の日射しの中で目を瞑った佐助の耳に、小鳥が飛び立つ小さな羽音が緩やかな風音に混じって聞こえた。







蛇足
なりたいけどなれない。だから妬ましいほどに焦がれる。葛藤する佐助がうちのスタンスです。
幸村がちょっと大人っぽくなりすぎたかも。

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