饒舌な四十雀 口へ運びかけた湯飲みを垂直に下ろして畳へ置くと、佐助は唐突に庭へ降りていく。自分の分の茶を飲み干してから、幸村は佐助のあとを追った。 午後になり、傾き始めた太陽にゆっくり暖められていた外気が肺に心地良い。 「どうした佐助」 「いや、何か聞こえた気がして」 庭の片隅にある木立へ辿り着くと、佐助は適度に形が整えられた木の元で立ち止まり、ついてきた幸村に耳打ちする。 「そこの木の下、水仙の葉の陰。見える?」 「ああ、シジュウカラだな」 白地に黒の模様が入った小さなものが、草と地面の間にひっそりといる。耳を澄ますと、かすかに頼りない鳴き声が聞こえたが、 これをあの縁側から聞き分けたのだとしたらさすがというよりない。思わず近づこうとした幸村の着物の袖を、佐助が僅かに引いて止めた。 「猫に食われてもよいのか?」 「旦那みたいな暑苦しいのが行ったら、親鳥が近づけないよ」 不満を露わにした小声で抗議した幸村を軽くいなすと、佐助は静かに気配を消し、落ちている小さな生き物に近寄った。そして一呼吸のうちに、樹上へと移動する。 枯れた葉が一枚落ちてきた他は風が鳴らしたほどにしか音もたてず、幸村の隣に戻ってきた佐助は木の上を指さす。 「あそこから落ちたみたいだ。まだ巣立ち前だったから巣に戻しておいた」 ツーツーという鳴き声に、まだあどけない声が混じって聞こえたことに幸村は安堵した。 「そうか、良かった」 おまえが、と言いかけた幸村の声に、何?と歩き出しながら佐助が答える。 「放っておけと言うのかと思ったのだ」 「ひどいねぇ、俺をなんだと思ってるんだか」 「すまぬ」 大げさに溜息をつくと、佐助はふと笑う。 「もう巣立ちしてるか、怪我でもしてたらそのままにしておいたよ。巣立ち直後の小鳥は上手く飛べなくてよく地面にいるし。 そういうのは親鳥が近くにいるから心配ない。怪我をしているなら、それは他の生き物のためになる。ちょっと可哀相だけど」 縁側へ戻った佐助はそこへ腰掛ける。冷めた茶を啜ると息をついた。 「でも見ちゃったら、放っておくわけにもいかないでしょう」 そう言いながら、あまり晴れ晴れとしない顔をする。陽に透かされた薄い色の髪がわずかに風に煽られている。幸村は拳二つ分ほどの距離をあけて隣へ座る。 「風のようだった」 「俺が?」 「ああ、見事な身のこなしだ」 「なにを今更。いちいち褒めないでよ」 ひらりと振られた手の甲にある新しい傷が、赤い残像となって目の裏に残る。先ほどまでは気が付かなかったそれが、なぜか印象を強くする。 「いちいち褒めて何が悪い。おまえの風は清廉だ」 「そういうことを真顔で言えるところが、さすが旦那」 呆れた様子で髪をかき上げた佐助の左手に、自然と目がいく。 ごく浅い傷だからだろうか、包帯も巻かれていない刀傷はふさがりかけている。当然だ。 優秀な戦忍びである以上、滅多なことがなければ手に深い傷など負うわけがない。その跡が完全には消えないことも知っているが。 「あやつは、感謝しているぞ」 「獣が?」 「忘れぬものよ」 助ける時に罪悪感を懐くのだとしたら、なんとも不自由なことだ。屠ることに慣れた己の手が命を扱うことに、違和感を感じるのだろう。 それをいつも言葉にしないのは、忍びという本懐を全うするための覚悟のせいだろうか。それは例えるなら、巣から落ちても鳴かない雛のように誰にも助けを求めないというような。 佐助は体を支えるように縁側へついていた左手を握り、自らの膝に置いた。そして眉を下げ、情けないような顔で幸村を見る。 「もしかして俺、気をつかわれてるんですか?」 「今ごろ気が付いたか?」 「これはこれは、勿体なきご配慮」 肩を竦め、わざとらしく改まった口調はいつも通りだった。 低空を飛んできたカラスが1羽、木の上へ降り立ち、色めき立った小鳥のさえずりが庭に溢れた。雀が2羽、屋根の上からもつれるようにして降りてくると2人の前に止まり、 またすぐに飛び立っていく。 どこか上の空で鳥を見遣っている佐助も、その佐助を見ている幸村も黙っていた。 あたたかく和やかな賑わいが静寂を包んでいる。 伝える鳴き声を持たないなら、ここにはもう言葉は必要ない。 呼吸で、血で、声で、風のような姿で、存在はいつも目の前にある。 饒舌すぎるほど物語られている。 それだけで充分だ。 伸ばせば手の届く位置に腰掛けている男は、天へ指を向けて軽く振る。それを合図に樹上のカラスが飛び立ち、一度屋敷の上空を旋回するとかなたへ飛んでいく。 太陽の光へ向かい、逆光に浮かぶ影は小さくなりながら、染みのように空へ形だけを残して去っていった。 蛇足 拍手お礼にほのぼの書こうと思ったらこれになってしまいました。佐助の話は本気半分嘘半分くらい、と幸村はわかってそう。 佐助は知られてるってわかってなさそう。そろそろ、ぐらぐら考えすぎな佐助と男前な幸村、じゃないものを書きたいです。 |
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