the silver case
#3 主人公と物語

この話の主人公は過去を持たない。主人公の台詞は全くないし、考えていることも分からない。 自身の姿も、プレイヤーは見ることが出来ない。周りから与えられる評価でかろうじて知ることが出来る程度だ。 だからこそ、この話では主人公=プレイヤーというシステムが生きてくる。 プレイヤーは主人公と同じ立場で世界を見ていくことになるからだ。

確立したキャラクターが居て、それを操作するのとは違う味わいがあり、おのずと考えさせられることも多い。 初めにつけた名前で呼ばれ、物語に参加し、選択を迫られる。

そして世界は主人公を(プレーヤーを)置いてきぼりにして進んでいく。

物語後半、主人公は自分の過去を見つけることになる。だが本当に重要なのはここからだ。 主人公の考えは最後まで分からない。「自分語り」をしない主人公は昨今のゲームの主人公にはふさわしくない。 面倒くさい問題をひたすら解いて(実際、本当にかなり面倒くさい)出てくる答えは「これからどうするのか」という新しい問いだけだったりする。 まったくもって不親切極まりない。主人公でありながら自分の人生の主役を生きていない主人公には、 この答えの出ない設問が目の前に置かれたままだ。

だが、難解な構造の話は真実と虚構の違いも超越して、最後は謎にまみれているにもかかわらず、湿っぽさはない。 むしろ突き抜けた明るさすらある。

このゲームは、日々積み重なるすれ違いや、やるせなさ、どうしようもなさや愚かさを含んだ世界を、 全てそこに「あるもの」として認めているのだろう。だから生き残った主人公には焦る必要も救いも必要無い。

そこにあるのは過去でも未来でもなく、今だけだ。 この世界は、何者かわからない主人公をわからないまま認めている。 選ばれなかった主人公は、なにを選んで世界にとどまり続けるのだろうか。




#4 モリシマトキオと物語

モリシマトキオは民間人だ。それが「偶然」この一連の物語に参加することになってしまう。 初めは成り行き任せ、他人任せに行動しているようで、そのうちそうも言っていられない事態になっていく。

「自分はどうやら欠陥品らしい、と感じたことはある?」という台詞で始まるプラシーボ編において、 トキオは普段真面目に考えたこともない自分自身の在り方、自分を取り巻く世界との関わり方を考えさせられる。 それは彼の通るべき道だったが、あんな選択肢しか与えられないならトキオでなくても「ちょっと待ってくれ」と言いたくなる。 こうして自分の立つ場所を確認する作業の中で得たのは、世の中は上手くいかない、自分は完璧ではない、という冴えない結論だった。

だが、「自分はどうやら欠陥品らしい、と感じたことはある?」
この自ら発した疑問文のあとに来るべき答えを、トキオは見つけた。 それが、正しいかどうかではなく、自分の中の真実かどうか。 それだけが彼の求めた価値だった。過去に寄生する声に苦しめられながらも、彼は自分の価値を譲らなかった。

なんのことはない自分探しの話である。しかもどちらかというと救いの無い部類の。 それでも、プラシーボ編のラストを笑う人はいないだろう。

「できそこないにも、一分の魂はあるからだ」

彼は成り行き任せに行動しているのではない。成り行き任せであることを自ら選択していた。 これまでも、これからも。

冴えないフリーライターは、逃げ続けることを選択して物語から去っていく。 差し込む朝日を鏡にして、彼は探していた自分の姿を垣間見たのかもしれない。
24区の亡霊が25区に現れるとき、そこに彼が居たことはきっと彼の選んだ必然なのだろう。

たぶんまだ、結論を出すには早すぎる。


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