killer7
煙が降る


このホテルの椅子は座り心地が悪くて、彼女は嫌いだった。
男は窓辺に引きずっていったその椅子に腰掛け、足を組んで窓枠に肘を置くと外を眺める。 そこまでの動作がまるで芝居のように画になっていて、それが少し可笑しかった。

古いホテル。粗野な男。そこに自分。
まるで古い映画のワンシーンのようだが、これは本編とは関係のない街の情景のひとつだ。 主役の演技を横から眺めるエキストラ。

「可笑しいか?」

男の視線がいつの間にか自分に注がれていて少し驚く。彼は気だるげに首を傾けると窓に視線を戻す。言われて始めて、彼女は自分が笑みを浮かべていたことに気がついた。

「別に。理由はないわ」
「そうだな。そういう顔だ」

開け放たれた窓から控えめな街の生活音が流れ込んでくる。明け方の空気は冷えていた。 彼女は煙草を取り出すと火を付ける。細く長く伸びた煙の先で、男が立ち上がるのが見えた。

「またね?それとも、さよなら?」

脱ぎ捨てられていた上着を拾い、ネクタイを締め直すと、男は彼女に近づいてくる。彼女が座っているベッドの真横に立つと、その顔を見下ろす。

「面白いな。あんたの顔」
「失礼ね」
「ここにも、過去にも、未来にも生きてないって顔だ」
「頭でも打ったの?」

口元を笑いの形に歪ませて、男は彼女から煙草を奪う。
深く煙を吸い込むと、唇の間にそれを挟んだまま部屋から出ていった。
彼女は舌打ちをする。
最後の一本だったのに。

窓際まで歩いていくと、彼女は下を眺める。朝焼けに照らされた狭い路地の中で、ゴミか人かわからないものが静かに蠢いていた。そこは彼女の仕事場でもある。
窓の前に迫った壁に浮き出たシミを見ながら、彼女は下着と服を拾い上げる。この部屋は彼女の古巣のようなもので、だからこそ、この椅子の座り心地だけが気に入らなかった。

彼女は早朝の街を見るのが好きだった。窓辺に立ち、まだ暗い街が光を帯びていくのを眺める。 それは清潔な表の顔だけを浮かび上がらせるわけではなく、路地裏に落ちる影の濃さをこれ見よがしに強調するスポットライトでもある。
それが彼女の好きな理由だった。
だが街自体に、彼女の興味はない。
役者がセットで組まれた街に愛情を持つか?
それと同じ事だ。



粗悪なウィスキーを流し込んで、彼女は路地裏の壁にもたれかかる。
今日も、いつも通りに定時の仕事だ。
深夜というよりも朝に近い時間。街は暗闇の中で盛んに呼吸をしている。
酒場の青いネオンが割れた瓶に反射していた。
焦げた肉の残骸に群がるネズミを蹴飛ばして、彼女は壁伝いに上を見上げる。
ホテルの二階。角部屋。彼女の古巣。
今日の取引の商品は生きているものか生きていないものか、それだけが彼女の問題で、中身に関してはどうでもいいことだ。早く合図をくれないと、琥珀色の液体がなくなってしまう。

だいたいいつも気分は良くない。だが酒のせいではない。

彼女はもう一度、雲が這う暗い空を見上げた。
すこし上空から、彼女をいつも見下ろしている人物がいて、実際には、それが彼女本人だった。
特に誰にも言ったことはないが、それはずっと彼女の側にいる。
ここに立っている自分の生活をその人物が見ていて、街は舞台。そこで起こる出来事の全てが、上空の「彼女」のための壮大な物語だ。 自分はそこに参加しながら、時々「彼女」のお零れに預かる。 上空から眺めたその景色は、朝焼けに照らされた街とよく似ていた。

それが見えなくなったのはあの朝からだ。

煙草の匂いと同じくらい明らかな死の芳香を纏った男。
彼の立つ場所は、彼女と比べものにならない高みだった。
それは同時に、自分などには想像も及ばない深い場所でもある。
あの男は、全ての他者を巻き込みながら最果てに連れて行く。
そして彼だけは、いつも変わらず獲物を狩り続けるのだ。何食わぬ顔をした空の下で。

上空の人物は相変わらずそこにいたが、もう彼女にあの景色を見せてくれない。
おぼろげな不安を、彼女は酒と一緒に飲み下す。
上の空の視線。誰を、どこを、何を見ているのか。
彼女にはわからない。
だが本当の彼女にはわかっていた。
だからこそ、彼の声が再び耳に届いた時、振り返るべきではないと知っていたのだ。

「墓は用意したか?」

その声の響きに、彼女の心臓が大きく脈打った。
まるで、これでは恋ではないか。

そう思ったのと、男が肩を強く引いた力を感じたのと、目の前が明るく何度か光ったのは同時だった。重く乾いた音が壁に反響して踊っている。揃わない軍隊の足並みのようだ。
なぜか足に力が入らない。
彼女は首を曲げて自分を見下ろし、そして撃たれた事を知った。
盾にしやがった あの女誰だ 見張りだろ いいから男を狙え
声高に叫ぶ声を耳にしたが、すでに痛みが酷すぎて思考がまとまらない。
彼女が道へ倒れこむ前に、背後の男がその体を突き飛ばした。

再び、重く乾いた音。

それは先ほどの安っぽい音とは比べものにならない、甘美な深さを湛えた響きだった。 自分はずっと、こんな音を聞いてみたいと思っていたのかもしれない。

いつのまにか、辺りには静寂が戻っている。
ゴミの山に優雅に腰掛けるようにもたれながら、彼女は男を見ようとした。
だが彼は背を向けてホテルへ入っていくところで、その顔を見ることは出来ない。
闇色の後ろ姿に煙が一筋、まとわりつくように漂って、やがて消えた。

襞を作った雲が薄く伸びる上空は、まだ朝日の欠片も見えない。
そしてそこに、もう「彼女」もいなかった。
当たり前だ。
その彼女は男の声ひとつであっけなく天から引きずり下ろされて、いま路地裏に倒れているのだから。客観的に見れば、よくある光景だ。 銃声くらいで誰かが出てくるような街でもない。

彼女は震える手で上着のポケットをさぐり、そして小さく舌打ちをする。
こんな時に煙草を切らすとはツいていない。
指先に当たる地面の感触だけが、妙に生々しい。冬でもないのに体は冷え切っていた。

死ぬときはきっと、血を吐くような恨みを残すか、全てに満足して笑うか、どちらかだと思っていた。
しかし実際に、その時が来てみればなんということもない。
不満なのは、煙草が吸えないこと。
気に入らないのはあの部屋の椅子。
それだけだ。それが彼女自身だった。

今も気力があれば泣き喚きたいほどに全身が痛いし、決して満足しているわけではない。 彼女は深く息を吐いた。
ここに引きずり下ろされたとき、彼女には全てわかっていたのかも知れない。そしてわからないままでもある。

私は、いったい誰だったのか。

だが、そんなことはどうでもいい。

古ぼけた高い壁の迫る路地の下で、彼女は初めて、この街をそう悪くないと思っていた。愛おしいとまでは言わない。 だが安っぽい舞台上のことだとしても、それは確かにこの手に得た、主役の感慨だ。

それが笑いしか知ろうとしない男が彼女に贈った、鉛の祝福だった。

遠くから届く繁華街の喧噪と濁った空気。世界はこんなにも静かだ。
歪められた笑みが割れた瓶の上をちらついている。

彼女は重い瞼を開く。
あの男は、誰かから、それを贈られることがあるのだろうか。
生と対になって頭上についてまわる、甘美な響きを携えた、最果てを。





二階の角部屋へ踏み込むと、黒い悪魔はそこにいた人間を撃ち殺す。
取引に来ていた彼らは座り心地の悪い椅子に腰掛けたまま、侵入者の姿を見る前に息絶えた。
男はゆっくりと部屋を横切り、サイドテーブルに置かれたままの煙草に火をつける。それを唇に挟んだまま窓際へと歩き、窓を開けた。

煙が緩やかに霧散する。少し風が出てきたようだ。
見下ろすと、暗い路地の片隅に、先ほどの女が倒れている。
その顔はこの部屋を見上げるように不自然に傾いたままだ。
不思議な表情。過去も今も未来も見ていなかった女の顔。

男は笑う。
口元で燃える赤い火が星のように瞬く。
彼自身のような一瞬で永遠の光。

彼は煙草を指にとり、手を伸ばすと、それを窓の外へと放った。
火がついたままの煙草は一度風に煽られて、彼女の隣へと落ちる。

揺れながら、細く渦を巻いて立ちのぼる煙。
それは女の顔にまとわりつくように流れて上空に昇っていったが、彼女の動かない瞳には、曇った柔らかい色の空しか映っていない。





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蛇足(反転)
Quean=娼婦。Queenと一文字違いでこの差。
長いのに分けなかったので読みにくい。お疲れさまでした…。
書いてるうちに彼女が好きになってきて、その結果暴走。中途半端な諦観と希望の矛盾を携えた人。
死神は世界の仕組みのために生まれたので、人から奪うことが人への恵み。それが与えるもの。「生きている人間」の為に世界はあるから死神は笑うだけ。

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