名のある獣
荒涼とした大地の片隅に、砂色のハイウェイが頼りなく伸びている。
その脇にあるダイナーは、子どもが試しに置いた玩具のような唐突さで現れて、僕の車がその店に着いたのは13時前だった。
手垢で薄汚れたガラスの扉を開けると、濁った音楽とウェイトレスの愛想のない視線が返ってくる。僕は空いている店内を眺めてから奥の窓際に座った。
その席からは、カウンターがよく見える。褪せた赤い髪をしたウェイトレスにコーヒーだけを頼むと、新聞を読むフリをしながらカウンターに座る男を眺めた。
地味だがセンスの良い服装のその男は、短く刈った白金の髪をしていて、いつも色の濃いサングラスをかけている。
背は高い方だと思うが猫背なので、それが彼の印象を控えめなものにしていた。
だが彼が見かけ通りの男ではないことを僕は知っている。
彼は僕の友人を殺した。それが彼の仕事だったからだ。
名は知らない。その姿の印象だけが僕の知っている彼の全てだ。
友人−通り名はジムと言うが−はまともな人間だったら10人中9人が顔を顰めるような仕事をしていた。
僕もその中に入るひとりだったが、彼の仕事と友人であることは特に関係がない。僕は物事のあれこれを関連付けて考える能力に欠けているのだろう。
顔を顰めつつも一緒にいる、という10人中の1人を僕が兼任していたのはその欠けた能力のせいで、ジムが「本当は心根の優しい奴だった」というわけではない。
彼は見かけを裏切らない中身を持っていて、それはある意味では誠実ともいえた。
ともかく、僕は彼が殺されたことに不満だった。
悪い奴だったから喉を切り裂かれて死んでも仕方ない、という結論にはどうやっても達することが出来なかったからだ。
善人そうな顔をした殺し屋に近づく理由をある人に聞かれたので上のように答えたら、返ってきた言葉は「想像力の欠如は身を滅ぼす」という一言だった。
僕もそう思う。
だが、探偵小説を最終ページから読む僕のような人間に、そんな忠告は無意味だ。
謎のある状態を、楽しむとか悲しむとか、そういったことと結びつけられない。
カウンターの男が席を立つ。僕も勘定を済ませると彼の後を追うように店を出た。猫背の男はダイナーの低い窓の横を流れるように歩く。
まるで潔癖な4本足の獣のように、丸めた背だけは動かない。
彼は店に隣接している公衆トイレに入る。
ここで、彼は他の人物と「入れ替わる」。文字通り。
世の中には知らなくてもいいことが確かに存在する。
しばらく外で待っていると、白いスーツの男が現れる。手には大きなアタッシュケースを携えた体格のいい男。
彼はトイレの入り口に姿を現した僕を見つけると、目を細める。
「なにか?」
「いや、さっきの彼に用があるんだ。ちょっと替わってくれないかな」
「それは知っている。だが、彼はあんたに用は無いそうだ」
「なるほど。で、なんで僕を殺さないの?」
「余計な仕事は増やさない。それにあんたが誰かに言ったとしても誰も信じない」
僕は頷く。
「納得した」
そして肩をすくめる。
「でも、それとこれとは別だ」
スーツの男は僕を上から見据えてから、ふっと視線を外す。
「見かけによらず度胸がある」
「あんたも見かけよりいい人だね」
白いスーツの男は無表情のまま僕の脇を通って外へ出る。
強い日射しの下で彼の影が長く伸びる。
「何が知りたい」
「タダで教えてくれるの?」
「内容次第だ」
「僕の心臓で払えるといいんだけど」
僕は愛車のボンネットに腰掛ける。モスグリーンに光る車体に彼の白い姿が映っている。
「さっきの彼がこの街で殺したマフィアのボスがいるだろ?その男の名前を、彼が知っているか聞きたい」
「それでいいのか」
僕が頷くと白いスーツの男はしばらく黙っていたが、一度僕に視線を戻してからトイレへと消える。
見守っているとすぐにその入り口に、さきほどの猫背の男が現れた。近づくと、彼は壁に寄りかかって僕に顔を向けた。
「あんたのボス、なかなか話のわかる人だ」
彼は黙っている。よく見ると筋肉のついたしっかりとした体格だ。ゆっくりと回される首の動きが、やはり獣を思わせる。
「3日前、あんたが首を掻き切って殺した男の名前を知ってる?ジムじゃなくて、本当の」
答えたくないのか、それとも知らないのか、彼は僕を見たまま何も言わない。サングラスに隠された瞳が何色をしているのか、僕にはわからない。
僕がなにか言おうと口を開きかけるより一瞬早く、彼の口が動いた。
nothing
声は聞こえなかった。だが確かに、彼の口はそう動いた。
僕はたぶん、間抜けな顔をしていたと思う。
まさか、彼がそれを知っているとは思わなかったのだ。
ジムと呼ばれた僕の友人。彼には、本当の名前なんてなかった。
それは、彼の人生の最初から失われている。そして僕も。
僕らは存在が空白だった子供だ。
それはあまりにも深い溝に思えて、それが僕らのすべてに関わってきた。
この男はそれを知っている。友人の人生を失わせた、この男が。
僕はあの日の光景を思い出す。
ビルの外階段から、窓を通して部屋の中を覗いた僕の目の前に、返り血をあびた猫背の男。
薄暗い部屋の床が一面てらてら光っているのは、友人とその仲間の体から流れ出たものだとすぐにわかった。
サングラスをかけた白い男は血塗れの床に倒れている友人を見下ろし、ほんの数秒だけそこに留まる。そして静かに部屋を出ていった。
確信は無いが、それでも僕は確信した。
彼はあの時、僕の友人の名を呼んだのだろう。
失われた名を。その沈黙によって。
僕は都合のいい想像を真実だと思いこむ、愚かな人間に成り下がってしまった。
友人がひた隠しにしてきた事実を彼が知っている。その意味を、僕はあまり深く考えないようにした。
そうでもしないと、真っ直ぐに立っていられない気がしたのだ。
目の前の男は相変わらず黙っているが、日射しは先ほどより穏やかになる。
額に手を当て、完全に混乱した気分で、僕はハイウェイを見渡した。
描いたような形の良い雲が太陽を半分だけ隠す。毎日見ているはずの景色が怖いほどに広い。
遠くに見えたトラックが、あっという間に僕たちの横を轟音をたてて通り過ぎる。
僕がその圧倒的な存在に気をとられている間に、猫背の男の姿は消えていた。
替わりに、先ほどの白いスーツの男が隣に立っている。
僕は気の抜けた声を出した。
「支払いはキャッシュで?」
「必要ない。あんたは不死身じゃない。いつか払う日が来るだろう」
僕は少し笑うと、背を向けて歩いていく男に声をかける。
「あんたにも質問があるんだけど」
「俺は教師じゃない」
「僕だって学生じゃない。さっきの彼、なんて名前?」
男はこちらを振り返ると、一言、その名を告げた。
僕は頷く。
「いい名前だね」
僕は彼らが特別である理由を勘違いしていた。
彼らも愛したり憎んだりするのだろう。同時に、何を思っても何を知っても、決して覆らないルールも背負っている。
その枠の形状が僕らとは少し違うだけで、結局、それが身の丈に合った不幸なのだ。
僕は友人の死に様を知っている。
友人を殺した男の一部を知っている。
同情はしないが、これからもきっと、憎むことはないだろう。
安っぽい自尊心に根付いた僕の驕りを、名のある獣は殺してしまった。
乾いた空気が暑い日射しで暖められている。
動くものの濃い影が貼りついた地面の上に僕は立つ。
砂色のハイウェイとその上に広がる同じ色の光景を、そこに何かがあるかのように、僕は目を凝らして見ている。
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蛇足(反転)
ケヴィンの1980年ということで…言い訳無用。テーマは声なき殺し屋と名のない男の失ったもの対決。
同じだけど違う。違うけど同じ。意味がないから意味がある。
しかし考えれば考えるほどドツボにハマる存在killer7。書いてからなんだけどこんなテーマで書かなきゃ良かったな(笑)
あとケヴィンの出番が少なすぎるのはちょっとだけ反省してます。