killer7






   鏡の前に立って自分を眺めるときは出来るだけ暗い方が都合がいい 




突風が目の前にいる老人の帽子を飛ばした。
霧のような砂埃だけがバスケットコートの中で踊っているのがどこかの映画のようだ。
足下の、触れればきっとまだ暖かみのある死体のネクタイが風に煽られて細かく震えている。

「もし俺の方が死んでいたら、どうしていた?」

その言葉に老人は皺の寄った首を傾げ顎に手をやる。

「少なくとも、替わりに駒にするような愚行はしないな」

杖を携えた老人は支配者だけに許された笑みを浮かべて、飛ばされた帽子の行方を目で追っている。 カーティスは靴の先で足下に転がる人の形をしたものを軽く蹴り、その手が不自然な硬さを得ていく様を眺めた。

「こいつなら、上手く飼えば役に立つ」

餌が良ければ。そう告げると老人の目が空から落ちた月のように細められた。

「どんな教育をしてくれたのか、本人の口から聞くよ」

その言葉を無視するようにカーティスはしゃがみ込んで手を伸ばし、血の気の引いた掌に握られたままの銃器を掴み取る。

「これは貰っていくが、構わないか?」

「2年間の礼に差し上げよう。少々、過ぎた玩具だったようだな」

すでに手の中に収めた銃を見せて問う男に、帽子を拾い上げた老人は頷いて答えた。 拾い上げた帽子をかぶり直して歩き出そうとしながら、ああそれと、とわざとらしい口調で振り返る。

「餌を買って出てくれる者に、心当たりはあるかな。それとも」

「月並みだが、手を噛まれないように用心したほうがいい」

最後まで言葉を継がせなかった彼の反応に、老人は微かに歯を見せて肩を竦めた。

「身内贔屓でなければいいがね」

「度量はあるさ」

俺の弟子だ。鮮やかな赤が一筋、額から頬へ流れている男の顔へ目を向けてそう返すと、 呆れたように老人が小さく首を振った。

陽が地平線に引きずり込まれはじめても、ここはまだ終着点ではない。
なぜなら、時計の針は2度止められはしないからだ。


scene 01.02.03.00


早朝の湖のように光を照り返す床の上に、玄関から歩いてきたらしい男の影が濃く映った。
天窓からの日射しが一日がまだ半分以上残っていることを示している。
階段を降りたカーティスに気が付くと、男は壁を背にして立ち止まった。

「片づいたのか」
「それ以外に、来る理由があるのか?」

土産だと投げられた物を掴んで見ると、新品のように光る銀の指輪だった。
何の変哲もないが、うっすらと黒ずんだ刻印が今回の的のものだと示していたので、それをポケットに仕舞う。

「汚れるぞ」
「何が」
「服。その指輪、血が付いたままだ」

顎で促されて見ると確かに、胸ポケットのあたりに引っ掻いたような赤いラインが走っている。

「いいさ。どうせクリーニング行きだ」

歩き出すカーティスの後ろで、男は壁に寄りかかって動こうとしない。

「あの部屋よりは、ここの方がマシだ」

「階段は通路の一種で、部屋じゃない。知ってるだろ?」

カーティスの言葉に男は苛立ったような、それでいて笑いを堪えているような顔で溜息に近い息を漏らす。

「知ってるか?貴様のその言い方が、俺は心底嫌いだってな」

どちらともなく近づいて、距離が0になると決して目は見ない。
磨かれた靴に互いの影が映ることさえ厭うのに、なぜ伸ばされた手の先にいるのか。

矛盾するものが人であると、そんなことを理解して、一体誰が得をするのだろう。




前にも、こんなことがあった。違うか?
道をふさぐ壊れかけた車のサイドミラーに映る自分を見ているのか、こちらを向かずに話しはじめたのがこの男だったか、実のところよく覚えていない。 たった今仕事を終えたばかりの男の後ろに立ち、カーティスは明け始めた透ける空を見上げる。
朝から足下の無粋な塊を見たくなかっただけで、特別そこに興味をそそるものは無い。

「そうだったか?」

カーティスの答えに鼻を鳴らした男は路地に射し込む光を浴びて、半身が光の中に埋もれている。

「どうせ、貴様は知らない」

「さあ、どうだろうな」




映画を見るのは時間の無駄だと言った。いつも最後に結果があるなら、それだけで充分だと。
そういうものではないとカーティスが言う。それなら教えてみろ、と男は笑う。

映画の見方を覚えても、ピンで留められた標本のような時間の中でそれは、実になれない花を余計につけるようなものだ。お前がそれを知らないはずがない。

それならば、交わした言葉も目に触れたものも、全て無ければ良かったか?




「また、会えるさ」

あまりにも何か言いたそうにしている男の様子に同情して、そう口にした。
カーティスの銃口の先には、いつもとなにもかわらない姿の男がこちらを見ている。
こっちから願い下げだと軽口を叩くので、お前の意志は関係ないと答えると、 薄く漂う埃の向こうを見るように男は目を細める。

「逃れられない、とでも言うか?」
「自分から、逃れられると思うのか?」

強い風が吹きつけて、そこに意味のある形を為そうとするように砂埃が舞い上がった。
男は珍しく下げたままの右腕を体の横に留めたまま、不服そうな声で吐き捨てる。

「俺は、貴様なんかじゃない」
「そうだな」

そしてそれが、お前の絶望だ。

いま弟子の命を絶とうとしている男が、お前だったかもしれない。
いま自分を殺そうとする師を見ている男が、俺だったかもしれない。

だが、仮定はいつも虚しい。
それは自分自身の躯のように、全てが過ぎ去った後に残されるだけだからだ。

「同じ樹になった実だ」
「・・・」
「片方は地面に落ちて腐り、片方は枝に残って鳥に喰われる」

そんなものだろう?と問いかけても、ダンは興味のなさそうな顔で視線を外しただけだった。 つられて目を上げると、傾きかけた位置から熟れた光を投げる陽を背に負って、黒い鳥が降りてくる。

だがどちらが俺か、決めるのは貴様じゃない。
独り言のようなその言葉に視線を向けると、微かに歪められていた口元が嘘のように表情を無くした。 銃を煌めかせて右腕が上がっていくのが視界の端に見えたが、その時に何を考えていたのか、すでに思い出せなくなっている。

引き金がいつもより重かったのは、あまりに似ている魂ゆえの抵抗だったのだろうか。

銃声に慣れた黒い鳥は高いフェンスの上に止まり、やがて動きを止めるひとりの男と、それを見ているもうひとりの男の姿を瞳に映している。



last scene



埃をはたいて立ち上がったカーティスはしばらく動きをとめて、どこまでも乾いた空気の向こうに焼けた陽が沈んでいくのを眺めた。

老人が芝居がかった仕草で片手を広げ、お前のような男にも迷いはあるのだな、と面白がるような声音で言う。 カーティスは眉を上げてみせたが何も言わず、手中の銃をかざして、逆光の中に黒く浮かび上がらせる。

迷うには、あまりにも知りすぎている。これは、そんなものではない。

白い部屋でも、朝の路地裏でも、黒い鳥が見た暮れる街並みの下でも。
銃を携えた男の形をしたあの鏡が映していたのは、いつも自分自身だった。
影だけでは存在できない。だが影のない実体もまた、ないのだ。

映画を、と呟くと老人が訝しげにこちらを見る気配がして、カーティスは笑いたくなるのを堪えながら体の横へ下げた銀の塊を握り直した。 慣れないグリップの感触が手袋越しの神経をゆるやかに冷やしていく。

「映画の見方を忘れるなと、伝えてくれ」

「次の逢瀬は、約束できないがね」

「気は長い方だ」

元々ここには、生まれる前から繰り返された、結末の決まった逢瀬しかない。
すべて思い通りになると分かって生きていると、飽きが来るのは仕方がないことだ。 だからこそ人生の頂で目的が達成されるその前に、安住の地獄が壊されるのを願ったこともある。

「・・・俺が死ぬ可能性も、考えていたか?」
「そんな心配はしていない」

お前は、この男の師だからな。唐突な問いに、老人はカーティスの言葉を繰り返して答えた。

結局、光と影が均衡を保ちながら落ちていったあの時を、自分は結末に選ばなかった。 何も知らない癖に、と笑った男の声を今更思いだすのは、それが単なる皮肉ではなかったからだろう。

迷いなどという悠長なものではない。
ここに残ったのは、ただひたすら焼き付くような渇望だけだ。
そしてそれこそが、生きる糧となる最後の感情にほかならない。

街を朱色に焦がしていた陽は見る間に沈んで、道行くものの輪郭すら曖昧に融けだす夜がやってくる。 部屋の中でも外でもない場所。そこに立っていた男の背後に、この夜に似た闇はいつも広がっていた。 ラストシーンすら消えた後の暗色を思わせるその色は、理由もなくひどく懐かしい。

そんな感情すら塗り潰すように銀の銃身に反射した最後の光も消えて、人工の光も淡くしか届かないバスケットコートは乾いた風だけが動くものであるかのように静まり続けている。







蛇足
ハーマンとカーティスは密談済みなれど。番狂わせがもし起きていたら。起きてもいいと思っていたのは誰だったのか。
果実のくだりは岡崎京子氏の作品「ヘルタースケルター」から着想を戴きました。

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