光陰
クリストファー・ミルズは自分を呪い殺したいほど後悔した。
いつもは通らない角を曲がった裏道。
表通りがどうしたわけかずいぶんと混雑していたので、古い記憶を頼りに車をまわした。
その先で。
出会いたくない人物ランキングの第1位を、30年前から不動にしている男と鉢合わせた。
やっと月が出番を失い始めた明け方。
濃紺の空にうっすらと白い帯が浮かび始めた時刻。
車一台がやっと通り抜けられる程度の狭い路地に、逃げ場はない。
当然目の前から歩いてきた人物は車の前方で立ち止まる。
男は車の横へ歩いてくると窓を二度、指の関節で叩いた。
どうしてそれだけでこちらの心臓をすくませられるのだ。この男は。
自主的に(実際は強制と同義だが)窓を少し開く。
「よお、元気か?飼い犬」
「寄るな狂犬。俺に構わないでくれ」
連れねぇな、と男は嫌な笑顔を浮かべて首を少し傾ける。
窓を開けた途端になにかが焦げたような匂いが鼻をついた。
どこかで火事でも起きているのだろうか。
「ここで会うのは久しぶりだなぁ?覚えてるか」
男は窓の隙間から車内を覗くように身を屈める。
緩く締められた暗色のネクタイ。
白いシャツの隙間に見える喉元の皮膚。鎖骨が隆起する肌の上に。
赤い痕が。
まるで。
まるで?
「・・・・・いま思い出した」
それがこの道を通るのが久しぶりだった理由だ。
「お前の間抜け面は最高だったぜ。写真撮っとくんだった」
低く笑う。血色の痕が震える。
30年も前。この道の先。安いホテルの前で。
この男は確かにこうやって笑っていた。
傍らには男や女が。常に相手が違うのは規則のように忠実な。
「報告することには困らなかっただろ?感謝しろよ・・・」
まだ表通りが狭い路地だった頃。
ミルズが必ずここを通ると知っていて。
通り過ぎる瞬間にこちらを振り返る。見えないはずの口元が軽蔑に歪んでいるのが見える。
バックミラーの中で小さくなっていく男の顔は。
「クソ、完全に思い出した。・・・最悪だ」
は、とダンが鼻を鳴らす。
「安心しろよ。てぇめとなんざ太陽が落ちてきてもご免だからなぁ」
乾いた声をたてて笑う。なにが面白いのか全くわからない。
イライラとハンドルを握り直す。この場から去ってしまえればいいが、それが出来れば苦労はしない。
ミルズは煙草を一本抜くが、こんなときはライターすら見つからない。
膝に小さな金属が落ちてきて、ミルズは顔を上げた。
天使の描かれたライター。
「・・・いらねぇよ。どうせロクなもんじゃねぇだろ」
「そうか?モノはいいぜ?それを持ってた女も、今ごろは天使とよろしくヤってるハズだ」
「殺したのか」
男は唾を吐いて眉を上げる。
「あたしのものにならない?だとよ・・・冗談だろ?」
喉元を触る。赤の上に指が這う。
どこかの女がこの世で最期に残した証。
場違いな表現だと知らなかった哀れな女。
だがこの男のイかれた笑みを見ずに済んだことは、神に感謝するべきだ。
おかげで自分は神に会ったら悪態しかつけない。
男は体を起こすと顎で通りを指す。
「あっちの道は混雑してるだろ?」
「・・・ああ」
「近くのホテルが燃えてるからな」
ミルズは膝に乗ったままの小さな金属を見る。急に足が重くなったようだ。
「最低の女だったが、最期だけはどっかで炭になった聖女くらいにはイかしてたぜ・・・。
俺が直々に
殺ってやったんだからな。派手に逝けて本望だったんじゃねぇか?」
ひらひらと手を振って、男は表通りへと抜けていく。
慌てて車から出ると、男の姿は既に見えない。
朽ちたはずの男。まるで始めから居なかったように。
いや、これが。
ミルズは座席に落ちた不吉な塊を見る。
「クソ・・・・・最悪だ」
車にもたれかかったミルズの足下に吸われなかった煙草が落ちる。
波紋が広がる水たまりには、遠くの炎がゆらめきながら映っている。
淡く明けていく空を背景に、ホテルは歪んだ光を発して燃えている。
バックミラー。路地。暗い夜明け。
まるであの日のような。
いやそうじゃない。
もっと確かな。
拒絶する感覚は、それをどこかで望む感情から生まれるとでもいうのか。
冗談じゃない。
捕食者が張る罠は、いつも赤い。
喉元。
燃え上がる情念の建物の中。
炎にまかれて踊る女を見る。
その男の顔は。
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蛇足(反転)
慣れないもん書いていっぱいいっぱいです。色気が!色気が足りない…!
うちの暴君イメージはこんなんです、よ…。
徹底した自己愛で自己完結してます。自分しか愛してないので結局誰としても同じという。基本的にはエピキュリアン。
そのため相手と役には大変アバウトです。あっははは(笑っとけ)
遊ばれてるミルズには同情します。ヤツと関わった自分を呪うがいい。